機械翻訳の矛盾

■翻訳精度の話

 

最近「機械翻訳って精度どうなの?」という話を聞かれたりしますが、

「日本語でもなに書いてるかわかんないやついんのに、機械翻訳に精度云々求めるなんて無理筋でしょ」と答えてます。

 

翻訳や通訳なんて所詮「伝言ゲーム」以外の何物でもないので、そのあたりは割り切らはったほうがええんちゃいますかねー。と。

 

ようは目的を達成できればいいわけですから。

 

■久々に海外に行って

 

最近、10年ぶりくらいに海外に行ってきました。

目的達成の話であれば、ボディーランゲージで十分なんですよね。

 

例えば、WEB上で何か物を売りたい。というのが目的なのであれば、日本語で作成された素晴らしいキャッチコピーや商品説明を翻訳する。

というのではなく、その商品の使い方や使って喜んでる姿を動画にしたほうがよっぽど目的達成に近くなりますから。

 

■どこに焦点を当てるか。

 

夏目漱石が本当に言ったかは怪しいですが、「I love you」の日本語訳が「月がきれいですね」とか、素晴らしい翻訳でもなんでもないな。と。

伝わらんでしょ。

 

であれば、最低限意味の撮り間違えがないようにすることだけに翻訳は焦点を当てる必要があるんじゃないかなーと思います。

 

これはすごく狭い話で「YESがNOになる」や「1が100になる」ことを防ぐってことです。

 

■人からの伝言はその人のフィルターが入る

 

でも、「YESがNOになる」や「1が100になる」は、日常生活でも多分に発生していることです。

仕事上の報告なんて最たるものですし、人のうわさ話もそうですよね。

 

人間でも翻訳なんてちゃんとできひんねやから、機械のやることにそんなに目くじら立てなさんなや。というのが賞味の話。

 

伝えようとしてるだけいいでしょ。という気分でいきたいもんです。